建設工事用仮設構造物の機材の認定・使用基準等の設定及びそれらの周知、試験、技術的指導等に関する一般社団法人です。

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足場の年表

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現代(昭和後期〜平成)

1947年(昭和22年)

労働基準法(法律第49号)成立
内務省令等の諸法令が「労働安全衛生規則」(労働省令第9号)及び「事業付属寄宿舎規程」(労働省令第7号)に統合されました。

1952年(昭和27年)

9月 わが国初の建わくを三井物産が輸入
輸入したのは三井物産で'BEATTY SAFWAY SCAFFOLD(サンフランシスコ)'から輸入し、名古屋に陸揚げされました。現在でも建わくを「ビテイ」と呼ぶことがあるのはこの会社の創設者、David E. Beatty(デビッド・イー・ビテイ)氏の名前から来ています。ビテイ氏は1940年頃にアメリカにおいて現在の枠組足場の基になる各種機材の特許を取得しています。図は当時ビテイ氏らが取得した時の特許図ですが、名古屋に陸揚げされたものは、補剛材の形状等が、これよりもさらに現在の形状に近いものでした。(Google Patents)

zuhan10.jpg11月 中央商事がわが国初の鋼製脚立を製造
中央商事㈱(後の中央仮設鋼機㈱、現在の中央ビルト工業㈱)の都筑力雄氏考案により、わが国初の鋼製脚立製造。この第1号品を島藤建設株式会社が50台購入した。それまでの木製脚立に比べ、この鋼製脚立は安定性に優れるなどユーザーの好評を博しました。考案者によれば「何ごともあそびは必要であるように脚立設置時の安定性をよくするために、天板と脚柱上端との接合箇所に'ガタ'を設けることにした。このことがユーザーニーズに的中した」とのこと。これを受けて他メーカーも製造に進出し、鋼製化が一気に進みました。(写真左:中央仮設の十年の歩み・中央仮設鋼機(株)/右:安全資料・労働省産業安全研究所)

1953年(昭和28年)

大手建設会社の技術者の会合「水曜会」発足
春頃、大手建設会社の技術者が毎週水曜日に会合をしていたものが「水曜会」(後の建築技術研究会)として発足。ここから「水曜会」は足場の鋼製化を具体的に検討し、鋼製化に貢献しました。

zuhan11.jpg2月 ビテイ・スキャフォード㈱がわが国初の建わくの輸入・製造開始
BEATTY SAFWAY SCAFFOLDと㈱石井鐵工所の共同出資によりビテイ・スキャフォード㈱(東京都千代田区)が設立され、わが国初の製造を始めました。
当時の日本ではアメリカで製造されていたものと同品質の鋼管(現在のSTK500相当)を生産していなかったため、完成品を輸入するか、鋼管及び部品を輸入して溶接組立てするノックダウン方式で、製造は石井鐵工所高濱工場(東京都港区)で行われました。製品は高価であり、当初はPRを兼ねて試験的に設置したものも多かったようです。需要先は造船用、移動式足場用が多かったのですが、これは移動式足場が天井の高い銀行などの建物の補修には建枠を組み上げるだけで作業スピードが早く、また使い回しが効くのでコストが回収しやすかったためでした。写真は東京銀行協会工事に使われている移動式足場。(東京都港区高濱は現在の港区港南地区で'高浜橋'という名称が残っている)
(参考:枠組足場の黎明期/小野寺光哉、石井鐵工所三十五年史、枠組足場との出会い:大澤富三)

zuhan12.jpg8月 中央商事が製造したわが国初のパイプサポート(鋼製)使用
中央商事で20本製造したものが南海通商ビル(清水建設施工)で使われました。これが現場の好評を博し、すぐに本格的な製造が始まった。製造は㈱大道製作所(後の川鉄機材工業㈱、現在のJFE機材フォーミング㈱)。
基本的な構造は現在のものとほぼ同じですが、腰管には直角2方向に振れ止めのためのプレートを備えており、鉛直荷重に対し、耐力を高めるために工夫されたことが伺える。性能は「破壊強度4屯、耐力2屯、安全許容荷重1屯(当時の文献から)」としており、現在のパイプサポートの原型となったと言えます。ちなみに当時の市販価格は塗装品3000円ほどでした。(写真:中央仮設十年の歩み・中央仮設鋼機(株))

1954年(昭和29年)

2月 中央仮設鋼機がクランプを製造
製造は三整工業㈱が請け負い、材料は可鍛鋳鉄製(マリアブル製)でした。
このクランプの開発に当たり、当時海外視察をした人の情報を元に製造したとの話が残っており、現在ヨーロッパで流通しているタイプに近いのではないかと思われます。試作されたクランプは手作りで、ボルト部を打ちたたき、グラインダーで研磨して作るので1日に10個か20個を作るのが大変であったと伝わっています。(写真:中央仮設十年の歩み・中央仮設鋼機(株)

zuhan13.jpg4月 中央仮設鋼機製クランプを用いた我が国初の単管足場
東京都大手町の東京産業会館の現場(㈱竹中工務店施工)で使用されましたが、いわゆる単管足場としては我が国で初めてと思われる。現場は高さ110尺、足場面積400坪の規模。当時の日刊建設工業新聞の紙面で、同現場の南側壁面に架けられた丸太足場が単管足場に比較して「大根足場のようだ」と記されています。

zuhan14.jpgイギリスから輸入したクランプを単管足場で使用
大倉商事㈱がボルトン社(イギリス)から輸入したクランプを使用した単管足場が日本橋三越の現場で使用されました(清水建設㈱施工)。図は当時の文献に紹介されている英国の鋼管足場用金具。
その後、これを参考に堀江プレス(合)(後の堀江プレス㈱、現在のホリー㈱))で製造された記録があるので、輸入されたものは図のようなプレス形状のものではないかと思われます。また、昭和12年の実用新案の中に英国の業者が申請した`足場用緊締具`という、図と似た形状の金具があることからも可能性は高いと思われます。しかし、当時は'カプラー'という名称の金具が種々あったので確実とは言えません。(図:丸太足場と金属足場/吉田勇:槇書店)

1955年(昭和30年)

閣議で「木材資源利用合理化方策」が決定
1月閣議決定「木材資源利用合理化方策」に「(2)土建材料等の耐久化の促進/橋梁、その他土木施設土木建築仮設材料、杭、柱等は、鉄鋼、軽金属、コンクリート等の耐久製品につとめて切替えるよう必要な措置を講ずると共に木材防腐を更に推進する」ことがうたわれました。

zuhan15.jpg現在と同形のクランプ(緊結金具)の製造開始zuhan15-2.jpg
この年の春頃、中央仮設鋼機の依頼で堀江プレスがプレスとリベット接合によるクランプの製造を始めました。本体を角型とし、本体双方の固定方法を酸素溶接から4本のリベットかしめに切り替えた、現在のクランプと同様なものが量産された第一歩でした。当時の市販価格は1個230円前後でした。
写真左:当時の中央仮設鋼機㈱の製品紹介のものですが、この形状は現在までほぼ変わりません。堀江プレスは昭和39年以降は自社ブランドで製造し、現在もホリーとしてクランプの製造を続けています。(写真:中央仮設の十年の歩み・中央仮設鋼機(株))
写真右:昭和34年に現場で使用されていたもの。当時はいろいろな形状のクランプが市場に出回っていた。このタイプは当初輸入された海外製をサンプルにして製造したものと思われます。

図版66.jpg7月 日本ビテイ㈱(現在の日鐵住金建材㈱)設立 枠組足場の生産開始

日本ビテイ㈱(現在の日鐵住金建材㈱)が設立(東京都千代田区)。日本でも建わくの製造に欠かせない高抗張力鋼管の生産が可能となり、BEATTY SAFWAY SCAFFOLDとの提携により現在に至る枠組足場の本格的な生産が始まりました。製造は三晶企業(東京)が請け負いました。
当初は高価であったことから交さ筋かいを片面にしか入れていない現場も多く、また作業床として「布枠」がない時代で、必要な場所にだけ木製足場板をかけ渡していました。
型枠支保工としても多く使われ、大型建築物が増え始めた時期のニーズにマッチしたと思われます。
枠組足場の基本形は現在と全く同様であり、このシステムが当初から高い完成度を持っていたことがわかります。

1957年(昭和32年)

7月 JISに鋼管足場の規格制定
 規格の中で鋼管足場は「単管足場:鋼管を緊結金具を用いて組立てる建テ込ミ足場」と「ワク組足場:あらかじめ製作された主ワク等で組立てる建テ込み足場」と区分されました。クランプ(緊結金具)が量産されてから3年程度しか経過していない中で、早くも「鋼管+緊結金具」の足場が規格化され、また枠組足場も量産から4年程度で規格化されました。

1958年(昭和33年)

東京タワー《高さ333m:東京都港区》
高さ333mは自立式鉄塔として東京スカイツリーが完成するまでの51年間日本一の高さを誇りました。写真は建設途中の東京タワー。
着工:昭和32年(1957年)6月/竣工:昭和33年(1958年)10月/作業員:延21万9335名/建設費:30億円(当時)(写真提供:青陽社)

1959年(昭和34年)

2月 労働安全衛生規則が一部改正され「鋼管足場」に関する条文が追加された

1960年(昭和35年)

建わくを日本人向けにメートルサイズ(H=1600)にしたSM式枠組足場が清水建設と中央仮設鋼機により開発されました。また同年、布材と腕木材を一体にした「布わく」が開発されました。

1967年(昭和42年)

6月 任意団体として仮設工業会設立。

 昭和42年6月6日、仮設工業会の設立総会が東京・日本橋茅場町の鉄鋼会館において開催されました。翌昭和43年には5月29日付をもって、社団法人仮設工業会が労働大臣より正式に設立を許可されました。この時の会員数は26社でした。

1969年(昭和44年)

1月 「仮設機材認定基準」制定 (11種)
12月 認定品の出荷始まる

 認定基準の対象は「1.総則」「2.パイプサポート(鋼管支柱)/パイプサポート、補助サポート」「3.単管足場/ジョイント、クランプ、ベース金具、足場鋼管」「4.わく組足場/建わく、交さ筋かい、布わく、ジャッキベース、建わくのジョイント」でした。このうち「足場鋼管」は一度も認定されることなく、その後削除されました。また、ジョイントはしばらくの間「単管ジョイント」と「建わくジョイント」という呼称で区分されました。ここから正式に認定制度がスタートしましたので、もっとも古い認定品は「70」の製造年が打刻されたものということになります。

1978年(昭和53年)

zuhan18.jpg10月 全面に足場シートを張っていた枠組足場が風荷重により倒壊(東京・大手町)

この事故は東京の中心地、大手町で起きたこともあり、足場の安全性について注目されるきっかけとなりました。
原因は足場の壁つなぎとして使用された「羽子板クランプ」の強度不足のため、風をはらんだ工事用シートが誘発した風荷重に抵抗できず倒壊したものでした。
壁つなぎの性能はもちろんのこと、風荷重の怖さへの認識も高まり、その後の「厚生労働大臣の定める構造規格」制定のきっかけとなった事故です。

1979年(昭和54年)

㈱大三機工商会(現:㈱ダイサン)が、低層用足場としてくさび式足場の製造を開始

 当時は各メーカーが木造住宅建築工事のような小規模建設工事用として異なる形状の足場を製造していました。その中で、このくさび式足場は現在のものと変わらない構造でした。その後昭和59年の「小規模建設工事用足場」認定基準制定後、認定第一号となりました。

1981年(昭和56年)

12月 労働安全衛生法に基づく「労働大臣が定める構造規格」告示 (労働省告示第101号、103号及び104号)
現在の認定基準第1章から3章までがこの規格に基づくものです。
第1章 型わく支保工用のパイプサポート等
第2章 鋼管足場用の部材及び附属金具
第3章 つり足場用のつりチェーン及びつりわく

1983年(昭和58年)

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10月 労働省の委託により仮設工業会が「小規模建設工事に用いる簡易足場の構造等の安全技術基準」制定
木造住宅工事における墜落災害があとを絶たない中で、労働省(当時)から仮設工業会に本基準の作成について委託されたもの。当時市場にあった各メーカーの製品に対し、使用状況の調査から実大試験等を重ねて作成されました。それらの使用基準等をまとめて普及を促しました。
 図は当時の技術基準に示された各足場の例図。下記の名称も当時のものですが、現在市場に残っているのはC型(くさび式足場)のみです。
A型/組立断面支柱式ブラケット一側足場
B型/片脚わく式一側足場
C型/緊結部付ユニット支柱式ブラケット一側足場
D型/根入れ型単管支柱式ブラケット一側足場

1997年 (平成9年)

6月 移動昇降式足場ポンテジアを仮設工業会が承認。日工セック㈱がポンテギ社(イタリア)から輸入したもの。

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2012年(平成24年)

2月 東京スカイツリー®竣工
スカイツリーは2008年7月14日に着工され、3年半の期間をかけて2012年2月29日に竣工しました。
地上50mまでは、枠組足場を使用し、それ以降の工事では「外周部特殊足場」が登場しました。
「外周部特殊足場」とは、工事中のタワー先端部に見られた青い部分で、細かいネットで囲まれた鳥かごのような形をしています。地上で鉄骨の柱材にあらかじめ取り付け、組み立てる位置までタワークレーンで吊り上げ、所定の位置に設置します。
最先端の技術を駆使した東京スカイツリーも人が動く場所がある限り作業足場は存在するのです。(東武タワースカイツリー)(写真提供:㈱大林組)

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4月 前年の東日本大震災により変形した東京タワー頂上のアンテナ支柱交換
アンテナ支柱を交換するために、地上310mにアンテナ支柱基部を囲むようにしてFRPパイプにより足場が組まれました。
アンテナ支柱は基部からだるま落としのように撤去され、新たなものに交換されました。
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(写真左から)
①東日本大震災の影響で曲がったアンテナ(2012年4月)
②取り囲むように設置された足場は一辺約5m。
③約6ヶ月の工事を経て修理されたアンテナ支柱。(Licensed by TOKYO TOWER)

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