建設工事用仮設構造物の機材の認定・使用基準等の設定及びそれらの周知、試験、技術的指導等に関する一般社団法人です。

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足場の年表

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近代(明治時代〜昭和初期)

1873年(明治時代)

図版4.jpg
教育用錦絵に描かれた鳶の仕事
明治時代初期に描かれた文部省が発行した児童用教育錦絵シリーズ「衣喰住之内家職幼絵解之図」の「住 上棟」(全20枚)のうちの1枚「上棟」。このシリーズは民家が建つまでを、設計から始まり、材木の切出し、建方等、建築のすべての過程を錦絵にしている。
これはそのうち上棟(建て前)の様子を解説したもの。
この錦絵にある児童向けの説明文では、
「上棟とて、大工の切組をしたる木品を鳶人足とも仕事しともいふが杉丸太にて足場といふてあしがゝりをわら縄にて結、土台をすへ、それより柱をたて梁をかけ、其上へ小屋といふて家根の形をとりつくる図」
とあります。 鳶職の仕事ぶりを教えたものですが、足場の組み方もきちんと説明しています。(家職幼絵解之図:二代歌川国輝/所蔵:筑波大学附属図書館〉

1886年(明治19年)

図版5.jpg浅草寺五重塔修復工事
 東京府金龍山浅草寺五重塔は明治18年に修復工事がなされた。この時に組まれた足場を利用して、代金を徴収して物見をさせており、これを修理代金に充てたといわれています。これは江戸時代後期に広がった富士山を見物するという流行に乗ったものと思われます。
この五重塔は高さおよそ33mありましたが、昭和20年の東京大空襲で焼失し、現在のものはその後再建されたものです。
(歌川国政(四代目)  所蔵:東京都江戸東京博物館/Image:東京都歴史文化財団イメージアーカイブ)

1914年(大正3年)

図版6-1.jpg図版6-2.jpg日立鉱山の大煙突《高さ155.7m:茨城県日立市》
日立鉱山の製錬所からの排煙を目的に建設された。鉄筋コンクリート造で煙突として当時世界一の高さであった。
大正3年(1914年)3月13日着工、12月20日完成(煙突部は11月17日竣工)。
高さ:511呎(511ft≒155.7m)/上端:内径25呎6吋(25ft6in≒7.8m)/厚み8吋(8in≒20cm)/下端:内径35呎6吋(35ft6in≒10.8m)/厚み2呎(2ft≒61cm)。
建築作業員:延べ36,840人(男32,389人・女4,451人)/経費(煙突部):約15万円/足場用資材:丸太3万本(平均長4間)/シュロ縄(54000把)
【工事にかかわった人の話(抜粋)】
「足場がだんだん高くなると十尺×十尺の幕を張って周囲や高さを感じないようにして、危険防止をした」
「足場には、幅二尺ぐらいの螺旋状の階段がつけられ、階段といっても板に横桟が打ち付けられただけで、手すりにつかまって登った。」
「一人で二貫目(約7.5㎏)の生コンを、上が広く下が狭くなっている箱に背負って一日二回上り下りした」
「頂上までいって生コンを空ける。箱の底を空けて生コンが流れ落ちる時に急にスーッと軽くなり、このときが危ないので、気を付けた。」
「足場を解体して切り落とされた縄屑は60トンにもなった」
《引用文献:大煙突の記録(株式会社ジャパンエナジー、日鉱金属株式会社)》
《写真提供:JX日鉱日石金属株式会社》

1931年(昭和6年)

8月明治屋本店(東京都中央区京橋)の建築工事で鋼管を足場として使用。

 この年の8月に始まった明治屋本店(東京都中央区京橋)の建築工事の足場に鋼管が使われました。記録に確認できる我が国で初めての鋼管を使用した足場かもしれません。当時は現在のようなクランプは製造していなかったので、鉄筋を曲げてボルトナットで締め付けるような形で鋼管を緊結したのではないかと推測されます。しかし、鋼管の上が滑る等の不評をかって、これ以降しばらく使われたという記録はありません。明治屋ビルは現存し、東京都中央区指定有形文化財となっています。(参考:中央仮設十年の歩み/中央仮設鋼機(株)〉

1934年(昭和9年)

図版7-1.jpg図版7-2.jpg

姫路城昭和の大修理

姫路城は慶長14年(1609年)に現在の形に近いものが出来上がり、その後幾多の修理を重ねました。この写真の工事は法隆寺と並ぶ昭和の二大修理と呼ばれました。大規模な丸太足場が天守閣を覆うように組まれました。
修理は昭和9年(1934年)から国の直営工事として開始され、昭和13年(1938年)に完了しました。(所蔵:姫路市立城郭研究室)

1937年(昭和12年)

図版89月30日「土木建築工事場安全及衛生規則(内務省令第41 号)公布

  規則の文章から足場用鋼製金具等の存在が伺える(下記下線部分)。現在、足場に鋼管が使用されたという記録があるのは昭和6年の明治屋本店の工事(前述)だけですが、昭和初期に出願された実用新案を見ると、多くの足場用鋼製部品があります。昭和11年にはイギリスの業者が鋼管を緊結するために使用するU字型に曲げた金具の実用新案を申請しています。どれも商品としての使用実績は確認できませんが、市場に足場に使用する鋼製部品が生まれつつあったことは確かでしょう。

《規則》四 建地ノ接手は重合接手二在リテハ接續部二於テ一米以上ヲ重ネ且二箇所以上二於テ緊縛シ突合接手二在リテハ適当ナル構造ヲ有スル二本組ノ建地又ハ適当なる構造ヲ有スル「カップリング」ヲ使用シ「ボールト」等ニテ締附クル鐵管製建地ヲ除クノ外長一米八十糎以上ノ添木ヲ用ヒ且四箇所以上二於テ緊縛スルコト
五 建地、布、腕木等ノ交叉部及接續部ハ金具、鐵線等ノ金属製材料ニテ堅固二緊縛スルコト但シ足場ノ使用期間三月ヲ超エザルモノニ付テハ此ノ限二在ラズ


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