建設工事用仮設構造物の機材の認定・使用基準等の設定及びそれらの周知、試験、技術的指導等に関する一般社団法人です。

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足場の年表

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古代(奈良時代〜江戸時代)

奈良時代

history01.jpg奈良時代(700年代)の遺構から「足場穴」跡が見つかる。      建築において礎石の上に柱を立てるようになった奈良時代(700年代)の遺構からは建築の時に足場を使用したと考えられる「足場穴」跡が見つかっています。その痕跡から足場の建て方にいくつかのパターンがあることがわかっています。
図中の大きな四角の穴が建物本体の柱を建てる堀方の穴。その中の丸穴が掘立柱の跡。これらの間にある青丸が足場の柱を立てていた「足場穴」です。
掘立柱を立てるとき、容易には出来ないほどの大きさと重さがある場合には、建て方前に足場を設置して柱を入れ込んだと考えられます。(参考:古代建築の足場/上野邦一:連合出版、図版:「古代の官衙遺跡/奈良文化財研究所」を元に作成)

平安時代

「麻柱(あなない)」 足場のように'高いところに登る'という意味で使われた。

  この時代は足場のことを'高いところに登る'という意味を持つ「麻柱(あなない)」ともいった。
竹取物語の中でも使われている。
「竹取物語:~まめなる男二十人ばかり遣はして、あななひに上げすゑられたり。=忠実な家来の男を二十人ばかり派遣して、高い足場を組んでその上に登らせた。」
[参考文献:日本建築史の研究・福山敏男/総芸舎](平城宮、山田寺他)

1311年 (鎌倉時代)

図版2

松崎天神縁起絵巻に描かれた建築現場。

  この絵巻には904年に当初松崎社と呼ばれた松崎天神(現:防府天満宮[山口県防府市])建立の様子と、947年北野神社(現北野天満宮)建立の様子を描いた箇所があります。これはそのうち北野神社建立中のものです。この絵巻物が描かれたのは、1311年頃(鎌倉時代)で、もっとも古い足場穴の遺構が見つかっている奈良時代からは500年以上、建てられてからは400年以上経過していますが、この時代の技術の進歩は現代よりかなりゆっくりしていると考えられるので、建築時の足場と大きな違いはないと思われます。絵の中でも太い建造物の柱を囲むように足場柱が立っていますが、奈良時代の遺構に見られる足場穴も同様な建て方であったと推測できます。
 なお、タッチパネルコンテンツ「足場の温故知新」ではこの場面を動画化したものを製作いたしました。
同コンテンツ「浮世絵の中の足場」の収録からハイライト版をご覧いただけます。
〈松崎天神縁起絵巻/所蔵:防府天満宮〉

1800年頃(江戸時代)

図版3

姫路城改修に丸太足場。

 姫路城の築城自体は南北朝時代にさかのぼりますが、天正8年(1580)に羽柴秀吉が居城とし、大規模な改修が行われたことで天守のある近世城郭へと生まれ変わりました。これはその改修を描いたものです。しかし、この絵の作者貞秀は幕末から明治時代に作品を残しているので、ここに描かれた足場は江戸時代のものを反映していると考えられます。同時期の他の浮世絵などを見ると、筋かい、足場板、また手すりの高さにある布材等が共通していることから、江戸時代には丸太足場が一定の水準に達していたと考えられます。
 ところで高く組まれた丸太足場の上で作業をする人の名前は「真柴久吉(羽柴秀吉)」、「佐藤正清(加藤清正)」「畑切且元(片桐且元)」「浮島正則(福島正則)」といった有名な武将の名前が一部変えられたものです。これは徳川の時代には、秀吉の時代の武将を題材とする絵画等は発行を禁じられましたが、幕末になり再び戦国時代を描いた浮世絵が人気となり、その時に武将の名前を偽名にするなどの工夫がなされていたものです。
 なお、タッチパネルコンテンツ「足場の温故知新」ではこの場面を動画化したものを製作いたしました。同コンテンツ「浮世絵の中の足場」の収録からハイライト版をご覧いただけます。
 (真柴久吉公播州姫路城郭築之図:歌川貞秀/所蔵:公益財団法人日本城郭協会〉

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